これ、正直ずーーーーっと付きまとってくるテーマだと思います
私ってどんな人間? 私ってなんなのだろう? 「自分」というものが掴みきれずに
暗い夜道を歩いているような感覚になっているかもしれません
「私とは?」を知りたくて占いを受けるという人もいるでしょう
西洋占星術、四柱推命、九星気学、算命学…命術だと
自分の特性や行動のクセ、性格などなど色々探っていくことができます
人間って「分けられる」と安心するんですよね。私も何かのカテゴリーに属されると
安心しますもの。診断系とか結構好きです
ただ、人間って「オンリーワン」なんですよね。一人として同じ特性を持っている人はいないです
いろんな「自分」があっておおまかな「自分」を作っている。
0か100かじゃなくて 10がこれくらいで、7がこれくらいで・・・みたいな感じでいいんです
「分からない=分かれてない」けど進んでいく。この意識を持っているだけでも生命の木を
上がっていくことは可能です。
「私」は生命の木ではティファレト マルクト以外のスフィアにつながっている場所です
実は「私」は「現実世界」とは直接つながってないんですよね。間に「無意識」のイェソドが挟まってます
ねー 「私の無意識」を反映しちゃってるんですよ、現実って。
「いやいや、んなことはなかろうもん」
って反論したくなるとは思います。えぇ にわかには信じ難い。
しかし、無意識で考えてること、やってしまうこと…0って言えますか?
無意識って良い事ならまだしもあまり良いとは言えないこともありますよね?
私も0とは言えません「ハッ ついやってしまった!」は…あります。
まだまだ「ヴェールの下の意識」から抜けられてないというかすぐ落っこちてきてしまうというか…
【意識をする】だけでも良いんです。意識しないよりかは全然マシだと思います。
「無意識」を抜けて「私」を考える、感じる、生きる…
生命の木を登っていくのは自分自身と向き合うことです(直視しずらいことも出てきます)
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